はじめに、以下のことを強調しておきたいと思ひます。
貧しい「知性・徳性」は「技術・体力」を「野蛮」へと導き、
乏しい「技術・体力」は「知性・徳性」を「軽薄」へと導く。
豊かな「知性・徳性」は「技術・体力」を「穏健」へと導き、
確かな「技術・体力」は「知性・徳性」を「重厚」へと導く。


これまで多くのフルコンタクト空手の指導者を見てきて、いつも疑問に思つてゐたことがあります。
何故、「技術・体力」に秀でた空手家は大勢ゐるのに、「知性・徳性」に優れた空手家はほとんどゐないのでせうか?
この疑問から、私達は出発したのです。

「技術・体力」を鍛へることは比較的容易であるのに対し、「知性・徳性」を鍛へることは非常に困難なことです。「技術・体力」を鍛へる方法がほぼ確立されてゐるのに対し、「知性・徳性」を鍛へる方法については全くの手付かずといつても過言ではありません。

しかし私達は、道場といふ共同体は、「技術・体力」を養成するする場であると同時に、「知性・徳性」を涵養する場でなくてはならないと考へます。
「知性・徳性」を鍛へる何かよい手掛かりのやうなものはないのでせうか?

あります。
「知性・徳性」を鍛へるといふ困難な道に一筋の光明をもたらしてくれるもの―――それが「伝統」なのです。
ここでいふ「伝統」とは、道場内での礼儀作法、基本稽古、型などの具体的動作――つまり「慣習」――のことをいふのではありません。礼儀作法、基本稽古、型などの目に見える「実体としての形」(慣習)の中に内蔵されてゐると考へられる、目に見えぬ「精神の形式」のことをいふのです。
「伝統」とは、「慣習」といふ名の運搬具によつて、歴史の流れの中を過去から現在へ運ばれてきた、英知、良識とでもしかいひ表しやうのないやうな「精神の形式」のことなのです。
礼儀作法、基本稽古、型などの具体的動作 = 実体としての形 = 慣習 ≒ 常識
慣習に内蔵されてゐるどこか抽象的なもの = 精神の形式   = 伝統 = 良識

私達は、通常の技術練習、体力鍛錬に加へ、「伝統」をよすがとして、「知性・徳性」の涵養に努めることを決意したのです。
日々の稽古の中で、「伝統」といふ「精神の形式」を探求する、スリリングで魅力的な営為の場―――それが私達の道場なのです。


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